振るだけだ
新しく買った竿は、やはり新しく買った竿ケースに落ち着いたまま日の目を見ず、一度も使われぬ状態で部屋の一部になってしまった。
引っ越したときからそこにそうやって在ったかのように、部屋に備え付けの竿ケース、みたいな当たり前さで、微動だにせず放置されている。
駄目ですねこれは。
竿は振らないと。
というわけで、新竿を持って釣りに行った。
竿の存在意義って言うのは振られることにある。
言ってしまえば「魚がかかって取り込む」っていうのは竿にとっては副次的な意義であって、つまり、ただ振られる。
そのためだけに竿はある。
そう言い切って良いと思う。
と、僕がこう書くのには訳があって、結果からいうと釣れなかったのだ。新しい竿で。
その上、これから先も釣れるような気がしない。微塵もしない。
ひとしきり絶望した後に開き直った僕は、前述のごとく、竿の価値観を転換することで何とか元気を取り戻したのだ。
竿は、振るためにある。
魚を釣るためにあるのではない。
竿を振っていたら、たまたま釣れることもある。もちろん釣れないのが普通だ。
僕は振るために竿を買った。
さて、釣りに行った話。
買った竿はメバル用のルアーロッド。
なのでもちろん、メバルがいるところに行くことになる。
だけど僕には車が無い。君に聞かせる腕も無い。心はいつでも半開き。
ってことでいろいろ調べた結果、鶴見川の河口あたり、「ふれーゆ」っていう施設の裏に行くことにした。
電車で行けるので。
品川の辺りも良いかと思ったが、何となく遠くに行きたかったので…
で、電車を乗り継いで海へ。
ヒトデも交尾中です(嘘)
干からびていた。
そこでブルンブルンと、振りたいだけ竿を振り、もちろん魚など釣れず、泣きたいだけ泣き、腹が減ったのでゆで卵を食い、寒くなってきたので「ふれーゆ」の中に避難した。
レストランとかお風呂とかあって良い感じの建物だった。
小さな熱帯植物園があり、ふらっと入ると魚がいた。
ワームで釣ってやろうかと思った。